『あさが来た』最終回で、あさが死んだかどうかが話題になっているようですね。

新次郎さんの死亡フラグが出てから追っかけてきたこのブログ、新次郎さんが亡くなった後の最終回も書くかどうか迷ってました。

というのも、最終回を見た私の感想が「NHK、あざとい・・・」だったからです。

ということで、『あさが来た』最終回の考察を述べていきます。

 

最後のシーンは新次郎があさを迎えに来た?

引用:http://news.yahoo.co.jp/
引用:http://news.yahoo.co.jp/

最終回の最後のシーンはこうです。

あさが志を持つ女学生達を集めて演説をしています。

 

あさ:
「うちは、昔のほうがよかったやなんて、ちょっとも思てしまへんのやで。せやけどなあ・・・なんでだす? 国が育ったらもっともっとみんな幸せになれる思てたのに、こない生きづらい世の中になってしもたんは、なんでなんどすやろなあ・・・」

 

「みんなが幸せになるための武器は、銃でも大砲でも悪口でもあらしまへん。(中略)人の気持ちを慮ることのできる優秀な頭脳と、柔らかい心。それさえあったらそれで充分なんだす。その分野で言うたら、おなごはんは決して男はんに引けとらしまへん。いや、男はん以上にその力、大いに使うことができます。まあ、うちの旦那さんは、うちより柔らかいおひとだしたけどなあ」

「若い皆さんは、これからどないな職業についても、家庭に入っても、その二つがあったら大いに人の役に立つことができます。日本どころか、世界の役に立てることが、この先ぎょうさんありますのや」

「どうか、どうか、しょげてなんかいてんと、よう学んで頑張っとくなはれな」
(一部抜粋)

 

内容は、今の世にも当てはまることから、脚本の大森美香さんが言いたかったことなのかもしれません。

 

演説後、あさは遠くに新次郎の姿を見つけます。その姿は、若き日の元気な新次郎でした。

あさは杖をつき、足を引きずりながらも新次郎のほうへ向かいます。
遂には杖を放り出し走り始めました。
そして笑顔で迎える新次郎の元へ若い姿に戻ったあさがたどり着くと、新次郎はあさを抱き上げ、二人は笑い合いました。

新次郎はあさの手を両手で包み込むと、「ご苦労さん。今日もよう頑張ってはりますな」と、いつものように優しくあさに語りかけました。
「へえ、だんな様」と応えるあさ。

新次郎が両手であさの顔を包み、あさの涙を拭って、二人は見つめあい微笑んでいました。

 

ここで、問題です。

実際、人が若くなるワケがないので、これが何を表しているか?と。

 

亡くなった新次郎が若い姿で現れ、若くなったあさと再会したことから、『新次郎があさをお迎えにきた』という解釈がもてるため、ネットで物議を醸してるようです。

 

では、こちらのブログでの解釈をお話しましょう。

 

新次郎の登場はNHKのサービス精神と感動の演出

スポンサーリンク

あさが菜の花畑の向こうに新次郎の姿を見つけた場面、私もさすがにうるっと来ました。

 

「忘れんといてなぁ。いつも、そばにいてるさかい」

 

あの新次郎の最期の言葉が、あさの心象風景として表現されている、と思ったのです。

しかし、その後あさは、そちらのほうへ走って行きます。そして若い姿になってしまった!?

 

え? まさか、新次郎さんが「お迎え」に来たの??
いや、これで、あさが死ぬなんて、そんなラストはないだろう???

 

そう思っていると、新次郎と再会したあさは新次郎に抱き上げられ、「ご苦労さん。今日もよう頑張ってはりますな」と優しく言われて幸せそうな姿を見せました。そして新次郎が両手であさの顔を包み、あさの涙を拭って、二人は見つめあい微笑んで、ドラマは終わりました。

 

・・・いやいやいや! これは、新次郎ロスに対する、新次郎ファンのための、NHKからのサービスショットだね・・・? いや、ここまですると、NHKあざとい・・・。

 

最後のシーンで「感動した!」という意見が出ているとニュースなどで見ていた私は、同じ場面で引いていたため、皆様の感動に水を差すような感想をブログに書いていいものか? と迷い、結果、記事を出すのを放置していました。
最終回の記事を読みに来てくださった方にはすみませんでした。

 

しかし、 「あさが死んだのか?」論争があると聞き、このブログの見解を載せます。

 

  • 最期のシーンは、あさの心象風景であり、あの場面であさは死んでいない。
  • 若い元気なときの幸せな姿を出し「ほら、感動してね!」と、NHKは安易な演出をした。
  • あくまでも新次郎ファンへのサービスショット(のつもり)

 

大好きな『あさが来た』の、せっかくの最終回に辛口批評をしてすみません。

しかしあまりに安易に「感動してね」みたいな場面を作られたら、「NHK、それは、やり過ぎ。あざといだろう・・・?」と引いてしまうのです。

 

あさの顔を新次郎が両手で包む最期のシーンもそう。
新次郎さんが倒れる直前に出来なかったことをさせてます。

なんだか、「感動してね」と、てんこ盛りに押し付けられても「余計なお世話」とかえって冷めてしまうのは私だけだったんでしょうか・・・?

 

あさが新次郎さんの姿を遠目に見つけて、微笑みながら「今日も頑張っていますよ!」と心の中で話しかけるようなシーンを挟んで、あさがまた前を向いて生きていく・・・という描写だったら、もう感動で涙ぼろぼろだったと思うんです。

ああ、新次郎さん、陰ながらあさを守ってるんだなあ・・・って。

 

あさが来たスピンオフドラマ『割れ鍋にとじ蓋』

あさが来たスピンオフ
引用:ww.nhk.or.jp/osaka-blog/asagakita/

最終回終了後、気持ちがあまりすっきりしないので、次のスピンオフドラマに期待します。

亀助さんがふゆさんとの結婚をふゆさんのお父さんに認めてもらおうとする話です。
明るい話のようで、心配したり不安になったりはなさそうです。
元気な新次郎さんやあさも出るようですので、心から楽しみに待てますね!

 

【再放送】 2016年5月5日(木)午後4:30~午後6:00(90分)BSプレミアム

まとめ

最終回について、辛口な内容ですみません。
これでお気を悪くされた方、申し訳ありません。
正直な感想として書かせていただきました。
そういう理由で、私の中での『あさが来た』の最終回は新次郎さんが亡くなった155話です。

 

そして、「あさは死んだのか?」の問いについては、この最終回では「死んでいない」と答えます。
亡くなるとしてもこの場面より後の話で、本編中では『描写なし』といったところでしょうか。

 

あの最後の描写は、あくまでもあさの心象風景で、幸せな感じで感動させたかったあざといNHKの演出です。

 

あと、NHK・・・こんな感じのラスト、何度もやっているような気がするんですが・・・。気のせいでしょうか?

★関連記事★あさが来た 記事一覧

次へ⇒ NHKスタジオパークの林ゆうきの経歴は?あさが来たやハイキューの曲を担当